ピアノコンクール(1)
先の週末、ピティナ・ピアノコンペティション
高岡地区予選大会が開催されました。
会場は高岡文化ホールです。
私はピティナ高岡支部運営お手伝いと、コンペ
参加の教室生徒さんの応援と、母親として娘の
演奏の付き添い補助で、濃く長く、そしてあっ
という間の二日間を過ごしました。
音楽のコンクールというのは、昔から賛否ある
ところです。芸術に点数をつける必要があるのか
順位を決める意味があるのか(いや、ない)
という見方も、全く正しいと思いながら、私は
コンクールが好きで、見るだけでもわくわくして
参加すると完全燃焼、燃え尽き症候群がお決まり
です。
とくにこのピティナコンペティションには、自分
が参加していた当時の青春が詰まっていて、思い
入れがたくさんあります。
大学の頃はピティナ本部でアルバイトをしました。
今をときめくピアニスト辻井信行さんが小学六年
でD級全国優勝する年には、辻井少年の受ける
地区予選会場のスタッフとして働いていました。
その日は誘導係という、演奏直前の参加者の隣に
待機し、出番のタイミングで参加者をステージに
押し出す係で、ちょっとした緊張の役回りでした。
辻井少年は自分の番のずっと前から会場の人の多さ
か何かに落ち着かない様子で、誰かの弾く大きな音
に驚いたり、時々ふと小さく何かつぶやいたりして、
スタッフとして隣にいた私を少し不安にさせました
が、そのあとの彼の演奏から紡ぎ出された音楽は
今も、忘れられません。
課題曲はバッハとシベリウス樅の木でした。
それまで聴いたことのない、この世のものとは
思えないほどあたたかな音色がこぼれおち、
会場は金色の粒が降ってきたような暖色の光に
包まれて見えました。どこまでも無理のない自然な
タッチは風にそよぐ植物のようで、どこか別世界で
私たちには見えないものを見て、聴こえない音を
聴いている人なんだろうと、切なく思いました。
これ、六年生のコンペだっけ…と目眩がしたのを
覚えています。
あまりの衝撃に、予選が終わって会場を後にする
お母様に声をかけました。
ほんとうに素晴らしかったです。
穏やかな笑顔のお母様は、“昨日まで熱があったん
ですよ、とりあえず無事に弾けてよかったです”
とほっとした表情で、でもとても気さくに話して
くださったものです。
すっかり話がそれました。