コンドルズに観る癒し
ダンスカンパニー・コンドルズ富山高岡公演、
「TIME IS ON MY SIDE」@高岡市民会館 に
息子と二人で行きました。
踊りは全然、全くの無知なのですけれども、
コンドルズという名前は、数年前まで乳児を育て
朝夕のNHK教育TVに文字通りお世話になった頃、
近藤良平さんの『こんどうさんちのたいそう』や
今『オフロスキー』として有名な小林顕作さんの
『うえだくんとしただくん』が親子で妙に、
妙に好きだったため、なんとなく記憶していた
ものであります。
コンドルズは男性ばかりのグループで、全員が
学ラン姿でダンス、生演奏、人形劇、映像、
コント等を展開するステージです。
実際に舞台を観るのははじめてでしたが、まさに
血沸き肉踊る躍動感。
終始一貫してある世界観を、無理やり言葉にして
みると…、あまりに自由で正直、ギリギリの狂気、
ギリギリの真面目さ…
うーん、やはりどんな言葉も無力!と一蹴されて
しまうような凄い空間でした。
小3の息子は、コントと映像のそこかしこでツボに
はまり、息を殺して一人笑い転げておりました。
目を見張るような美しいダンスも堪能しましたが
メンバーの半分が、ダンス未経験なのだそう。
でも本職ダンサーの方もそうでない方も、全員が
全身でリズミカルに、ときに無音でシリアスに踊り
シュールなコントに身を捧げ、まっ正直な表現を
するそのエネルギーは、感動を通り抜け、観る側の
身体に直接作用する“癒し”の力がありました。
踊りを自分のものにしてしまった人たちというのは
そこにいるだけで周りの空気が透き通って見える
気がします。
空気を味方に呼吸している。
今回の公演タイトル『タイムイズオンマイサイド』、
”時は自分の味方だぜ”
というニュアンスだそうですが、彼らには空気も時も
味方してしまって、誰もかなわないように見えました。
私には到底手の届かない、この世の奥義のひとつに
行き当たった人たち。
クラシック音楽は、よく癒しのカテゴリに分類され
ますが、どうでしょうか。
私は今あまり、癒しを感じていません。
それは、何物にも変えられない喜びであり、楽しみで
ありながら、一定の苦しみがあります。
じっと動かず自分と向き合い、そこに傷口を見つけ、
塩を塗って痛みを確認するような、荒療治に似た部分
です。
でも、近藤良平さんの言葉を借りれば、踊りと音楽は
別物ではありません。
踊りのあるところに楽器があり、楽器のあるところに
踊りがあるといいます。
”昔のヒトたちは、大声を出したり、木の実を使って
音を出したりして、音の会話を楽しんでいたと思われ
ます。
一人のヒトが何かしら音を奏でながら歌いはじめる。
何かしらの高揚感で、まわりの人々もじっとしていら
れず、カラダをゆすりはじめる。さらに音を出す、
声を出すヒトも増え、しまいには全体が一つになった
ような盛り上がりをみせる——これはまさしく現在の
ライブコンサートとさほど変わりません”
楽器が踊りと、密接に繋がっている。
私のクラシック音楽に対する苦しみは間違っていて、
楽器はもっと自由に踊るべきなのかもしれません。
または既におおいに踊っていて、私の方が感じ取れて
いないだけなのかもしれません。
踊るように、癒しが訪れるように、楽器を鳴らして
みたいものです。
そのときは、空気も時も、味方してくれるでしょうか。