佐渡裕×ボジャノフの人間性と悪魔性③
”絶対的なコントロールと、聴衆を催眠術に
かけてしまうかのような魅力を持っている…
彼は音楽家が一生かけても表現しきれない
ニュアンスをたった1小節の中に表現する”
(米ダラス・モーニング・ニュース紙)
とはボジャノフの評のひとつなのですが、
今日のピアノ協奏曲,出だしの1小節から
まさにそうでした。佐渡さんがボジャノフに
ついて、”究極の、極限まで追求した音の
世界です”と紹介したそれは、驚くほど遅い
テンポで、全く意外なやり方ではじまり
ましたが、信じられないほど美しく、でも
あまりにも自然で、すぐに鼻の奥が熱く
なりました。
視界に入る客席の数人の方がハンカチを
取り出して目を拭っていました。
ファラ♭ーシ♭ドーからはじまる主題は
テンポが存在しないほど遅く、3つめの
シ♭の極限の弱音に心が全部持っていかれ
ました。
音と音の繫がりと重なりに極限まで潜ると、
こんな曲になるんだと思いました。
人が、同じ人の中でも、どんな場所にいるか
誰と一緒にいるかによって、性格も顔も別の
ものを使い分けているように、この曲も、
ある場面においては確実に、こういう性格を
もっていると思いました。
ショパンではないですが、今回のボジャノフの表現に
少し近い印象のラフマニノフです
ふつうは曲を演奏するとき、その曲の時代、
国の事情や背景、作曲家の作風や、その
周りをとりまく人々や出来事、愛用していた
楽器や当時の服装や文化などなど、楽譜に
書かれていない知識を大きなたよりとして
解釈します。それが一般的なやり方であり、
正しいとされています。
でもボジャノフは、そのような様々な知識を
排除したいのかもしれません。
どこかのインタビューかなにかで『からだで
考えて、頭で感じる』と言っていました。
頭で考えるのをやめ、純粋に音とリズムと曲
そのものが持つエネルギーを解放しようと
しているのかもしれません。
人間がつくったロボットが、考える頭脳を
もち、自分の意志で勝手に歩き始めるように、
ショパンのつくった曲の、音が持つ意志を
読みとって、音が行きたいように響かせたい
だけなのかもしれません。
ショパンが聴いたらびっくりするかもしれ
ませんが、きっと、自分の性格や時代背景
なんかは無視して、曲そのものに生命と
性格を与えてくれたボジャノフに感謝する
かもしれません。
かもしれません、ばかりの推測ですが、
実際のところ、ボジャノフの音楽は世間の
評価を二分しています。
”悪魔的な魅力!一度聴いたら癖になる”と
絶大な支持を持つ一方で、
“独自性が強すぎ、意図的すぎる”と、理解
されない面もあるようです。
たぶん、彼は別に奇をてらっているわけ
ではなく、音と会話しているだけなのだと
私は思うのですが、その超能力的能力を
信じるか信じないかで、評価が分かれる
のかなと思いました。
悪魔を信じるか信じないか、サンタを
信じるか信じないか。そのような感覚の。
しかし…テンポがゆれることゆれること。
佐渡さんの背中がびりびりとボジャノフを
観察し、オケの皆さんも佐渡さんじゃなく
ボジャノフの気配を追っていました。
音が行きたいように弾いているのだから、
ボジャノフ本人にもテンポが予測できない
のではと思いました。
ここから、佐渡さんの人間力です。