ギドン・クレーメル×リュカ・ドゥバルグ デュオリサイタル(2)
リュカのガスパール日本初演。
これを聴くがために、日常を色々と放り投げてやってきたのですが、ここで私がまずかったのは、はまりすぎたがゆえに、映像を観すぎてきてしまったことです。
ガスパールで100回は観たかもしれません。
ここのこれが観たいとか期待が大きくなりすぎ、リュカは即興性が強く常に同じようには弾かないのもあり、予想と違うやりかたにいちいちこれってこういうことか?と考えているうち、流れていく音楽に集中できなくなり、猛反省しました。
途中から、この人は初めてきく人で、ぜんぜん好きなんかじゃないと自分に言いきかせたものです。
実際のリュカは映像よりもまだまだ手足が長く、骨ばって見えました。
音に独特の硬さと潤いがあるのは、この骨ばった体の質感だと思いました。
1年前のコンクールのときの刹那的な美しさ、どこにも行き場のないような激情はどこかに昇華されたのか影を潜め、ただ音の出る時間と消える時間、立ちのぼっては、消える香りと、うつりゆく色彩を神経質に大事に大事にして、
すべての音を明確に、謙虚に慎ましく、私たちに伝えようとしていました。
第3曲スカルボでは疲れもみえたか、音抜けやすっきりしないパッセージもありましたが、それを補ってあまりある美音と世界観と説得力。
地の精霊が迫りくるクライマックスの最低音は、実際に喉の奥から絞り出したうめき声そのものに聴こえる最高のおぞましさ。
会場からは感心したような唸り声と大拍手でした。
プログラム後半はクレーメルのソロ、イザイの無伴奏ソナタ。民族的なざらっとした曲調で大好きになりました。
クレーメルのヴァイオリンは、ほんとに聴いたことのない音がしました。
朗らかな人の話し声のような、ほんの少し喉をふるわせるゆるいつぶやき、緊密に通る声。
ぼはっとした春の花ような香り、花の粉っぽい触感。
間や語尾はユーモアに溢れ、顔は笑っていても言ってることは毒舌極まりない落語のような語り口。
無類のテクニシャンでもあり、無伴奏のなんと分厚く豊かなこと。
まだまだ余裕があるようにふわっと柔らかな表情で弾ききりました。
ラストはフランクの傑作ヴァイオリンソナタ。
前半ことばを交わしてきたふたりが、いよいよ絵の具をぶちまけるみたいな、強烈な色彩感が爆発していました。
それにしても凄い曲!めくるめく和声、慈愛に満ちたメロディー、官能的な半音の下行、激して情熱的にたたみかける上行形のモチーフがピークでやさしく笑ったり、笑って諦めたり、一人になって落ち込んでその後やっぱり怒りだし
言いたいことをぶちまけては固く抱きしめ合う、いろいろあったけどその将来を天使が祝福し、前途洋々な未来が見えてThe End、みたいなフランスの恋愛映画さながらドラマチックで、(勝手なこと言いましたが大変な名曲です!)でもふたりの観る音楽の真実は甘すぎず、ただ真摯に冷静に音の美しさを追って向かっていくように見えました。
30分近い曲があっという間。芸術は爆発だ!
最後の音をふたりガッツポーズのように空中で締め、会心の笑顔で讃えあい手を取り合って拍手喝采に応えた後のアンコールは、イザイの子供の夢。
これが最高でした。
チャイコフスキーコンクールでの感傷的なワルツのように、このような小品がリュカの真骨頂とも言えます。
水の枯れた深い井戸の底で意識を壁の向こうに飛ばし人間の本質と対峙しているリュカと、音から異次元の表情を引き出すクレーメルとがそれぞれに見ているのは、ただ音楽の中心でそれが真実の光なのだなあと、つらつらとまた思うことです。
芸術はあくなき美への追究であり、それはシンプルで、野蛮なものだなあとも。
帰り道に気になっていたことは、このリュカという人、ピアニストとして生きていく気があまり強くないような気配がしています。
どこかのインタビューで、どうなるかなにも分からない、ビジネスの大学にも興味がある、などと言っており、おいおいこんなに巨匠クレーメルと音楽の神髄をみせてくれたのにと思います。ツンデレもいいところです。
でも周りは放っておかず、リュカの友人のクリエイターはリュカの映画を撮るとかでクラウドファウンディングに成功していて、でも全編フランス語のようなので、今回の公演で日本でも人気が出たら、日本語訳も制作されないかなと思います…
音楽と人の力でなんとか引き止めてまだまだ私たちを楽しませていただかなくては。