コンクール審査
所属する楽器店の音楽コンクールの審査員を
させていただくことになり、名古屋に行って
参りました。
私に審査員を… 最初ご依頼いただいたときは
恐縮を通り越して仰天しましたが、お断りする
理由もなく、何とか自分なりに準備勉強し、
講評のための鉛筆を数本丁寧に削り、いつもは
コンクールに挑む側の高揚した緊張とは別の、
ひやりと重たいプレッシャーを感じつつ、その
日を迎えたものでした。
あまり眠れず迎えた当日でしたが、会場に着き
参加者の方のお顔を拝見すると、どんなふうに
あの曲達を弾いてくれるのかと、楽しみの方が
勝ります。
そしていざ演奏が始まると、プレッシャーなど
感じる暇もなくただただ夢中であっという間の
審査時間でした。
いつもはあちら側、コンクールに挑む側にいて、
自分や子供たち、生徒さんたちとただその曲に
向き合い、ピアノをどう鳴らすかだけを考えて
いました。
本番の舞台の上では、自分の仲間はピアノと、
曲のもつ生命といったところでしょうか。
孤独だな、と思っていました。
でも、審査員席に座ってその人のために講評を
書いていると、何だか私のほうを向いて、私の
ために弾いてくれているかのような錯覚に陥り、
今まで感じたことの無いような親密な時間が
誰にも、同じように感じられました。
誰も審査員に気に入ってほしくて弾いたわけは
なかったと思います。
ただ、伝わってきたのだと思いました。
この曲を、これこれこう弾きたい、ピアノはこう
響かせたい、こんな風に仕上げたかったんだ、
というその人の思いは、ピアノだけに向けられて
いたとしても、ピアノを媒介としてこちら側に
こんなに伝わっているものなんだと、はじめて
知った気がしました。
伝わってきたものを私が受け取り、講評として
言葉に残し、それがそのご本人に届くということ
を思うと、何と幸せで楽しいことなんだろうと
思いました。
もちろん、コンクールはほんのちょっとの差で
その人の数ヶ月の運命を左右する残酷なもので
あり、思いが強ければ強いほど、楽しいなんて
言っていられない面もあります。
でも、それでも、その音楽に長い時間没頭して
磨き上げ、それを、同じように音楽と向き合って
いる人が審査という形で真剣に受け取り、評価と
講評として客観的に返してもらうというのは、
とても濃密で、楽しいコミュニケーションの一つ
ではないかと思います。
何度撃沈しても私がコンクールを好きな理由は
ここにあるような気がします。
音楽のよろこびの一つをはっきりと確認できた
大事な一日になりました。