蜜蜂と遠雷
なのに、なぜ。
クラシック音楽界の片隅で生活していると、日々たくさんの
なのに、なぜ
に遭遇します。
音楽なんか、なくても生きていけるものなのに、なぜ。
クラシック音楽は、その曲がつくられた当時にはクラシックじゃなくポピュラーだったのに、なぜ。
クラシック音楽なんか、いま全然人気ないのに、なぜ。
コンクールなんか、音楽に点数をつけられるものじゃないのに、なぜ。
ピアノがどんなにうまくなっても、音楽で食べていけるわけじゃないのに、なぜ。
才能なんかないのに、なぜ。
アリとキリギリスの、キリギリスを選んでしまった音楽家たちの悲哀が、今期の火曜ドラマにも描かれています(楽しみに観ています)が、この業界を取り囲むこれらの呪いは広く根深く、私たちはそれを見ないように、もしも見てしまったならさっさと逃げてしまうように習慣づけられている気がしていました。
だって、好きだから、としか言えない、何もできないので。
でもそんなたくさんの「なのに、なぜ」の答えのすべてに真っ向から立ち向かったカッコよすぎる書籍、『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が、直木賞を受賞しました。
舞台は日本で三年に一度行われる浜松国際ピアノコンクールをモデルとした、架空の〝芳ヶ江国際ピアノコンクール〟出場者の4人を中心に「人間の才能と運命、音楽を描き切った青春群像小説」です。
一月が終わったあと一気読みしました。
(ネタバレは含みません)
ふだんから子供たち、教室の生徒さんたちと真剣に接しているコンクールの遥か先にある国際コンクール。予選での審査員の視点からはじまり、その出場者をとりまく環境を自然に丁寧に、そして見事なエンターテインメントでもって描かれていて、エンターテインメントすぎるかと思うところもありましたが、心から共感し、涙し、いつまでも大切に引き出しにしまっておきたいと思う言葉が、たくさんたくさんありました。読み終えて実際にひとつ大きなコンクールを自分で体験し終えたような達成感でいっぱいです。
でも何よりも、この状況を描こうと立ち向かい、構想12年、取材11年、執筆7年をかけて見事に描き切られたことに震えました。
なぜ音楽の道にいるのか。
なぜピアノを弾くのか。
なのに、なぜ、を誰より問い続けてきたはずの国際コンクールの選ばれた人たち、すべてを音楽にささげる彼らと同じ深さに潜り、彼らの「なぜ」とがっぷり四つに組み、同じ深さですべてを言葉にささげて紡ぎだしたその理由をエンターテインメントに変換し、日頃クラシック音楽に馴染みのないたくさんの人たちを、共感させ、権威ある賞をもって評価されているという事実が、私たちには驚異であり、大きな大きな励ましに思えます。
音楽は、言葉のない芸術なのに、それを言葉にするなんて、なぜ。
なのに、なぜ
に立ち向かう勇気をもらいました。