ピアノコンクール(2)
さて、コンクールというのは、コンクールで
なければ体験しえない大きな力を与えてくれる
ことがあります。
それはちょうど“精神と時の部屋”に似ています。
漫画ドラゴンボールをご存じでしょうか。
主人公の悟空たちが強敵と闘うため神の神殿の
最下部にある異空間、“精神と時の部屋”で修行
をします。
そこは真っ白で何もない空間であり、1年分の
時の流れが通常世界の1日に相当します。
一度に2人までしか入れず、重力は地球の10倍、
空気は地球の4分の1、気温は50℃から-40℃
まで変化し、しかも真っ白で気が狂いそう、
という過酷な環境で、2年分の修行をしてその
部屋から出てくると、劇的な成長を遂げている
のに実世界は2日間しかたっていないというわけ
です。
コンクールの場合、定員2名の過酷なこの部屋に
入るのはたいていお母さんになります。
講師は週に一度ほんの数十分、修行の進捗を
確認し次の修行の指示をするだけで、部屋の中で
一緒に汗を流すことはできません。
1日で矢のように過ぎ去る24時間のうち、少しの
時間を見つけては集中して練習をします。
自分に欠点があれば探し出して修正し、負荷を
かけて部分練習をし、うまくできるところはより
良くなるように磨き上げて、その繰り返しです。
コンクールまでの数ヶ月間、濃密な修行を終えて
部屋から出ると、いざ本番が待ち受けています。
お母さんと離れ、誰の助けも借りずに一人で
闘いの舞台に立ちます。
厳しい審査の目に晒され、力を出し切ることが
できてもできなくても、いよいよ最後にはその
結果を受け取るというイベントが待っています。
結果を受け取った瞬間、昨日と今日の景色が
まったく違ってみえるほど、新しい自分が
出来上がっていることに気がつきます。
凄いと思うのは、これが5歳の子供でも大人でも
同じということです。
コンクールを受ける人がおそらく皆、マイ精神と
時の部屋を持っていて、それぞれのペースでそれ
ぞれの修行をしてやってくる、残酷にもそこから
審査をし、結果というものがつけられ、それは
どうしようもなく変えられないものですが、
部屋の修行がどんなにその人を強くしたか、
審査員は知りません。
結果は客観的なものであり、その人の変化は
主観的なものです。
コンクールは、その主観的な部分にこそ大きな
意味を持つものだと最近思うようになりました。
漫画ドラゴンボールでは、”精神と時の部屋”に
入れるのは生涯で二日間だけと決まっています。
コンクールは毎年あちこちで開催されます。
力をつけたいと思えば、いつでも部屋に入って
修行をすることが許されています。
もちろんこんな過酷な修行は嫌だ、音楽を楽しむ
のと審査は相容れないし、真っ白な空間なんて
気が狂ってしまう、という人もおられると思います、
私もとても共感する部分もありますが、音楽を学ぶ
一つの形として、また幼い頃から大きな人間的成長
をもたらす修練の場の一つとして、コンクールが
機能しているということに間違いはないと思います。
さて今、母親としては2つの”精神と時の部屋”を
かけもちしております。
先日の高岡地区予選で、1つはラッキーなことに
最良の結果を得ることができてひと区切り。
もう1つはまだ修行の真っ最中でドア閉切です。
講師としても素敵な生徒さんに恵まれ、高岡地区
ではそれぞれの形でそれぞれの頼もしい成果を
見せていただき、お母さん方の努力に感動し、
また共感し、晴れやかな気持ちで終えることが
できました。
一区切りはついたものの、完全燃焼はまだ少し
先にあります。
心配しながら焦りながらもわくわくしている私は、
やはりコンクールが好きなのです。
ドラゴンボールも大好きです。